日本の捕鯨の町を二分する水銀汚染
ニューヨーク・タイムズ紙
マーティン・ファクラー記者
2008年2月21日
欧米の活動家たちは、何年にもわたってこの僻地の港に赴き、毎年行われるイルカ追い込み猟*に抗議してきた。そして地元の漁師も、何年にもわたって活動家たちの要望を無視し、イルカを小さい入り江に追い込んでは切り裂き、その血で海水を真っ赤に染めてきた。
しかし、今、新しい脅威が、活動家ができなかったことを成し遂げるかもしれない。その脅威とは水銀である。
太地は古くから海洋の町だった。岩の多い海岸線沿いに伸びるように厳然とした佇まいを見せるこの町の3、500人の住人は、何世紀も続いてきたイルカ・クジラ狩りの伝統を非常に誇りに思っている。
イルカ肉は地元の珍味で、刺身にしたり、醤油で煮たりする。ここの人たちはイルカ猟に伴う国際的な批判には慣れていて、高まる批判に対して結束を固めてきた・・・これまでのところは。
昨 年6月、地元で捕えられ販売されていたイルカとゴンドウクジラの肉に高濃度の水銀が含まれていることが、検査機関での分析によって明らかになった。学校は 給食にゴンドウクジラの肉を出すのを止め、地元の小売店の中には、ゴンドウクジラ、そしてイルカの肉を店頭から撤去したところもあった。
水銀汚染に対する恐れが共同体を二分した。地元の役人の大半や漁業組合は、水銀の危険性が大げさに取り上げられていると主張しているが、その一方で、この伝統への疑問の声も上がり始めた。
太 地の町議会議員、山下順一郎氏は、町が水銀検査費用を出すことを拒否した後、検査費用を自ら負担して分析を行なった。「私たちはイルカ猟も含めて、捕鯨に 反対しているわけではありません。ここは小さな町なので、住民は自分の思っていることをはっきりと口にするのを恐れていますが、このような健康問題を黙っ て見過ごすことはできません」と山下氏はいう。
これは到底太地だけの問題ではない。日本は世界でも有数のクジラ・イルカ消 費国だが、厚生労働省、農水省だけでなくマスコミも、汚染の濃度を増していくクジラ・イルカ肉に含まれる水銀についてほとんど触れていない。実際、捕鯨産 業は、主に外国による干渉から擁護すべき伝統として守られた地位を享受しているように見える。
「クジラ肉やイルカ肉はほんとうに危険なのだが、一般にはそれが公表されていない」、と北海道医療大学の遠藤哲也准教授はいう。遠藤准教授は海洋生物に含まれる水銀に関する専門家だ。
マグロ同様、イルカや小型のクジラは捕食動物であり、汚染の進む海で魚を食べ、水銀を蓄積しつつあるようだ。
日本人は毎年、激しい物議を醸している「調査捕鯨」を南氷洋と北太平洋で行い、1,000頭ほどのミンククジラや他の大型クジラを殺している。日本は、商業捕鯨の国際的な禁止を逃れるために捕獲を調査と呼んでいるが、スーパーマーケットでの肉の販売は許可している。
日 本の水産庁によると、それに加えて毎年およそ100頭のクジラと2万1000頭のイルカが沿岸水域で殺されている。しかし、その肉は到底必要不可欠な食料 源などではない。クジラ肉を食べる日本人は少数だし、イルカ肉はそれよりもさらに一般的ではなく、ひと握りの地元地域や大阪などの地方都市のみで消費され ている。
太地はイルカ肉の供給源として最もよく知られている。ひとつには9月から4月までの猟期に、ここで捕獲されるイルカの数が年間約2000頭と他を抜いて多 いからだ。(*)漁師は「追い込み」と呼ばれる猟法を使う。これは金属製の棒を叩いて海中に音の壁を作り、イルカやゴンドウクジラをパニック状態に落とし いれ、入り江に追い込んで殺すものだ。
(*)訳者注:ただし、イシイルカの捕獲については、 岩手県による突きん棒猟が最大の捕獲数を示す。遠洋水産研究所及び水産庁が発表した2000年から5年間のイシイルカ(イシイルカ型及びリクゼンイルカ型)の年間平均捕獲数は14,146頭。2007年~2008年の捕獲枠数は15,023頭。
血で真っ赤に染まった海水の凄惨な写真や、主に欧米の環境保護団体による抗議行動は、太地の町民をして追い込み猟の慣習によけい執着させただけのようだ。
地 元にある「太地町立くじらの博物館」によれば、太地の住民は400年もの間、沿岸捕鯨を行ってきた。捕鯨が太地の経済の中心であり、ここからは毎年、日本 の捕鯨船団に銛打ちや船員として若者が送り込まれている。太地町議会の三原勝利議長は、「太地は捕鯨共同体であり、その特性を失いたくない」という。ま た、「太地の少年はみな、クジラを捕獲することにあこがれながら成長する」という。
町長や他の町議のほとんどは、イルカ・ クジラ肉は度を越さない量であれば安全だとする厚生省のレポートを引き合いに出している。三原氏のような捕鯨の強力な支持者は、水銀汚染に対する警告がイ ルカ肉の人気を落とすかもしれないことを恐れている。 漁協によれば、年間およそ300万ドル(約3億円)になる町の漁業収入の3分の1ほどがイルカ肉に よる収益だという。
また、イルカ肉は他の地元海産物より高値で売られている。太地のあるスーパーでは、最近、冷凍のイルカ肉1ポンド(約450グラム)が14ドル(約1400円)近い値段で売られていたが、これは刺身用マグロ並みの値段だ。
水 銀汚染に対する懸念は、イルカ・クジラ肉より一般的に食用として受け入れられている海産食品、特にマグロの水銀汚染に対する世界的な懸念が増していること を反映している。実際、イルカは平均寿命が40年と、大型でも10年程度のマグロより長生きなので、体内に蓄積する水銀はマグロよりはるかに多いと北海道 医療大学の遠藤准教授はいう。
水銀は、人間が長期に渡って摂取した場合、先天的欠損症、脳障害、死を引き起こす場合もあ る。世界で最悪の水銀中毒事件は1950年代の日本で起こった。産業廃棄物として海中に投棄された水銀によって水俣市で何千人もが命を落とし、病気に侵さ れ、また、肢体不自由の障害を背負うことになったのだ。
遠藤准教授は、初めてイルカ肉の水銀汚染を明らかにしたいくつかの 研究に携わっており、2000年以来、日本各地のイルカ・クジラ肉のサンプルを何百も検査してきた。遠藤准教授によれば、典型的なイルカやゴンドウクジラ の肉には10から100ppmの水銀が含まれているということだが、これは日本政府が定める暫定基準値の0.4ppmよりはるかに高い。
遠藤准教授がこれまでに見つけたサンプルの中で最も汚染濃度が高かったのは2,000ppmで、これは太地のスーパーで売られていたゴンドウクジラの内臓から採取したものだという。
(訳者注:2,000ppmは暫定基準値の5,000倍の汚染を示す。)
日 本では水俣病のおかげで水銀中毒に対する一般市民の認識が高いにもかかわらず、厚生労働省や農林水産省はクジラ・イルカ肉に含まれる水銀濃度についてほと んど公表していないと遠藤准教授や他の生物学者はいう。厚生労働省がイルカ・クジラ肉の水銀濃度に関する調査を行ったときには暫定基準値の10倍から50 倍の濃度の水銀が検出されたが、唯一出された警告は妊婦に向けたものだった。
関係官庁職員は、イルカ・クジラ肉を頻繁に食 べなければ、水銀を摂取しても体内から排出する時間が十分にあるため、高濃度の水銀汚染はほとんどの人にとっては健康上のリスクはないとして、より広範囲 な警告は必要ないという姿勢をくずしていない。しかし、政府やマスコミが太地での論争などの水銀問題を無視しているという批判もある。
また、太地住民の多くも町に存在する「沈黙の壁」への不満を述べている。山下町議、そして山下氏と共に水銀問題を取り上げたもうひとりの町議、漁野尚登氏によれば、地元紙は水銀汚染に関する警告を報道せず、町役場もこの問題についてはほとんど公表していないという。
水銀汚染について知ってもらうため、2人の町議は1900枚のビラを自費で印刷して、住民へ配布した。
昨夏このビラを読んでショックを受けた住民もいた。彼らは、町が水銀問題について何も対応しなかったことに腹を立てており、もうイルカ肉は食べないと言っているが、「村八分」にされるかもしれないからと名乗ってはもらえなかった。
42歳のある女性は、水銀問題についてはビラに書かれていることしか知らないが、小学3年生の子供が学校でゴンドウクジラの肉を食べたので心配だといっていた。
年配の住民は、これまでずっとイルカ肉を食べてきて病気にもならなかった、と水銀への懸念を一蹴している。
つまるところ、このような世代間の差が、イルカ猟を終わらせることになるのかもしれない。太地の住民でも60歳以上の人はイルカ・クジラ肉を好んで食べるが、40歳以下の人はまったく食べないと地元の多くの人が言っている。
「私たちは、イルカ肉を食べるのを止めるべきだと言っているのではありませんが、必然的にそうなるだろうと思います。古い世代がいなくなるにつれて、イルカ肉の需要もなくなるでしょう」と漁野氏は語る。


